イベントやキャンプ場から、災害時の避難所まで 仮設トイレ

阪神・淡路大震災のもう一つの教訓④

■学校避難所

神戸空襲以来、避難先は学校

神戸の人は、頭の中に避難先は学校だという意識があった。

昭和20年の戦災で神戸がB29の爆撃を受けたとき、どこで子どもと親が散りじりになるかわからない。

親が、子どもに躾けていた。

「そのときはあそこの小学校に行っとくんやで。親は行方不明になったとしても必ず学校にいくから・・・」とそういう躾け方だった。その人たちが今親になっているわけだ。だから、「何かあったらすぐに学校へ行け」となった。

避難所になった学校での救援物資の避難所への配給は、ものすごく不公平だった。配給の当たらないところは何日間も当たらない。一方で食物でも、パン、おにぎりなど廊下などに山積みにしているところもあった。

避難先は学校だけではなかった。当初、神戸市役所や区役所では近くに住む避難者を庁舎に入れないということにしていたが、「避難できないやないか」という声が強かったので、庁舎を開放した。すると、本庁舎にもあっと言う間に避難者が入ってきた(近谷衛一)。

山下亨著 阪神・淡路大震災と新潟県中越大震災の教訓 「トイレが大変!」災害時にトイレ権をどう保障するかより引用

写真は旭ハウス工業製 仮設トイレ ペダル式洋式軽水洗便槽付 [AUG-FJ+BC37N]

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