原始的な排泄行為とトイレ権③
- 2017年01月01日
- 阪神淡路震災でのトイレ大混乱
原始的な排泄行為がはじまった
「トイレはどこや!もう出るがな・我慢でけん。」
校門をくぐったときにも真っ直ぐにトイレに駆け込んだ人が大勢いた。落ち着いてきて、誰もが当然に朝の生理現象である尿意・便意をもよおした。そのうち、大勢の避難住民が学校内のあちこちの水洗トイレを使用しはじめた。
当然、水洗トイレの水は出ない。ほんの先程まで出ていた水も止まった。完全に水が止まった。あちこちのトイレ便器は瞬く間に糞便の山。いわゆる「糞便のてんこ盛り」状態になった。
拭いた紙クズや持ちこんだゴミ類が散乱から堆積状態になっていった。両足を置くスペースもないほどに溜まった。
「何だ。この便器。糞の山やで!」
「ともかく、ここでするしかないのや!」
「我慢にも限界があるなんて言っておれんな。」
そのうち、運動場や公園等にいた被災者たちは地面に穴を掘りはじめた。急ごしらえの素掘りの穴が便槽になって勝手に用を足した。植木の茂みまで行って用を足し葉っぱで拭いた。
しゃがんで辺りをキョロキョロ見ながら原始的な格好で排泄した。不安いっぱいの排泄行為。「いやや、いやや。」幼い女の子も母親と離れてさせられた。泣いていた。
「駅のトイレは使えるやろっ!」
電車が止まった神戸市内のJR駅のトイレに入った。水も出ないし紙もない。すでに大勢の人が便器に溜めていた。臭いがすごい。足の踏み場もないが、滑らないように構えて中腰でしゃがんで排泄した。大便を手で処理して便所の壁になすり付けて”拭いた”。手形が壁じゅうに付いた。
「手は泥で拭けばええ!」
公園では砂漠の民のように砂や泥になすり付けて手を拭く光景も見えた。
山下亨著 阪神・淡路大震災と新潟県中越大震災の教訓 「トイレが大変!」災害時にトイレ権をどう保障するかより引用
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