神戸市内の学校避難所でのトイレ混乱⑧
- 2017年01月01日
- 阪神淡路震災でのトイレ大混乱
学校という避難生活の場
初期は教師が動いた
震災避難生活の初期段階では、教師が動かざるを得なかった。前出の山口登教頭が語った。
「生活上のトラブル、病人の世話、施設の管理、トイレ清掃、生徒に対する教育(授業)、生活の安否確認、救援物資の配付、痴呆性老人の世話、赤ちゃんのオムツやミルクの手配など何でも教師たちがやった。」
弱者に配慮
摩耶小学校では、小笠原教頭(前出)が、いろいろと弱者に配慮した。学校避難所には肢体不自由の子どもや大人たちには最初は保健室に入ってもらった。落ち着いてからは他の避難者と一緒に生活してもらった。とにかく、介助の都合もあって高齢者と障害者は一階に入ってもらうことを優先した。
目の不自由な夫婦がどうしても部屋(教室)に入らないと言われて廊下で生活していた。車イスの子どもについては、摩耶小学校には下半身不随の子ども用のトイレを設置していたからこれを優先的に使用してもらった。
山下亨著 阪神・淡路大震災と新潟県中越大震災の教訓 「トイレが大変!」災害時にトイレ権をどう保障するかより引用
写真はハマネツ製 イクストイレ ポンプ式簡易水洗タイプ 兼用和式 [TU-iXF4]
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